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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 12期卒業の滝口明彦君が、当年とって50歳で平成21年6月18日に食道癌により急逝しました。心よりご冥福を申し上げます。 彼は平成21年1月に食べた物が食道にひっかかる違和感を覚えた。 2月に地元の病院で検査をしたところ食道癌の診断が下された。自覚症状が現れた時点でステージ3程度まで癌は進行していた。 食道癌は症例が他の癌に比べて少ないそうで、調べた結果多くの治療実績を持つ順天堂病院へ紹介状を書いて貰う事を決めた。 3月になり通院での治療が始まった。放射線治療と抗癌剤を併用し腫瘍部分を小さくしてから手術をする予定が組まれた。 しかし日々の食事もままならない状態での通院治療は極めて辛く、入院することを直訴した。 その時点で70kgあった体重は10kg以上減っていた。1クール4週間の放射線治療は終了したが希望していたほどの効果はなかったようだ。 4月に再度全身の検査をし、GW明けに手術のつもりでいたが伸び伸びとなり、やっと決まったのは5月21日であった。 最初に気づいてから手術までに4ヶ月近くを要した事は、素人の感覚ながら長すぎたのではないかと思ってしまう。 10時間以上に及ぶ大手術だったが、肺静脈への転移が4〜5cmもあり、その部分は名医鶴丸教授を以ってしても切除することは出来なかった。 手術後3週間が経過し更に体重も10kg以上減ってしまったが、肺に溜まる水を抜ききり微熱が収まれば退院し、 再び通院により放射線と抗癌剤を併用した治療が予定されていた。 しかし突然6月17日に肺の一部より出血があり、昏睡状態に陥り、そのまま本人を始め誰も予想していなかった最期を迎えてしまった。 本人が苦しまず眠るように逝った事がせめてもの救いである。 以上が4〜5ヶ月に及ぶ闘病記であるが、彼は最後まで取乱す事なく泣き言も言わず冷静だった。 とても真似できない素晴しい振る舞いであったと思う。 彼は高校時代サッカー部に在籍し、顧問は今でもお世話になっている辻先生でした。 彼のテクニックは一年生の頃より一目置かれた存在でレギュラーに抜擢されるほどでした。 そして20余年が経過し折りしも日韓共催のワールドカップが開催された2002年に中杉サッカー部OBチームが「CS2002」の名の下に発足しました。 勿論彼はチームの中心選手として、その華麗なるテクニックに溺れながらも頑張っていました(笑)。 又そのキャラにより先輩、後輩からの信望も厚くムードメーカーとしても欠かせない存在でした。 7月5日に「滝口君追悼のメモリアルマッチ」がふかふか天然芝の夢の島競技場で開催されました。 当日は多くの仲間が参加し彼のユニフォームを着た同期の赤池も滝口君に捧げる得点を決めることが出来ました。 チームメート全員が改めて、彼と一生涯一緒にプレーする事を再確認できた一日でした。 彼の魂はこれからも我々の中で生き続けていきます。 辻先生はじめ、チームメートの皆様有難う御座いました。 そして最後に、滝口!今まで有難う。 12期森田浩 ![]() |
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